概要
経済学を勉強していると、「公共経済学」と「財政学」の2つの研究分野があることを知ると思います。
しかし、どちらも政府や公的セクターの分析・研究をしているにもかかわらず、研究分野の名前が違うことに、変な感じもするでしょう。
正直に言えば、明確な定義・区別はありませんが、その違いについて、説明します。
公共経済学と財政学の成り立ち
違いを知るには、公共経済学と財政学のそれぞれの成り立ちから考えたほうがいいかもしれません。
①公共経済学
公共経済学は、ミクロ経済学を起源としています。
ミクロ経済学の1つの答えとして、厚生経済学の基本定理というものが生み出されました。基本定理(第1の基本定理)については、次のようなものです。
「個人がある財を所有・消費し、完全競争市場で市場の失敗がないとき、その資源配分はパレート最適になる」
パレート最適とは、経済状態として1つの望ましい状態なのですが、それが必ずしも成立するわけではありません。
なぜなら、上記の文章にあるように、
「個人がある財を所有・消費する」
「完全競争市場である」
「市場の失敗がない」
という2つの条件があるからです。
逆に言えば、この2つの条件がクリアできなければ、パレート最適ではなく、経済状態としては望ましい状態を実現できなくなります。
このとき、どうしたら、この望ましい状態を実現できるのかが問題になります。
「完全競争市場である」という条件については、独占・寡占などの市場構造を分析する「産業組織論」がメインとして、研究されています。
もう1つの「市場の失敗がない」という条件については、それを解決する手段が必要になります。その手段として、市場以外の特別な存在として、「政府」の役割が重要ではないかということで、分析が始まりました。
また、「個人がある財を所有・消費する」という条件については、必ずしもすべての個人が「財」を独占的に所有・消費しているわけではありません。道路などのように、他の人と一緒に消費・利用しているものもあります。そうなると、上記の条件は満たさないことになります。そして、そのようなものの多くは、「政府」により提供されています。
これらのことから、厚生経済学の基本定理というものがあるが、それが現実は必ずしも成立しておらず、政府などの特別な経済主体が存在する中、どうしたら良い経済状態に導くことができるのかを分析しようとしたのが、公共経済学です。
②財政学
財政学の起源は、国家として、どのようにお金の管理・運営をどうしたらいいかという問題意識から、スタートしました。
国家にとって、お金の管理・運営に失敗した場合、その国家は弱体化し、存亡の危機にさらされます。逆に、国家として、お金が多くあれば、その国は強国になる可能性が高まります。
例えば、明治維新において、薩摩藩が重要な役割を果たした大きな要素して、調所広郷という家老が(いいか悪いかは別として)藩の借金を踏み倒したため、薩摩藩の財政基盤が強固になり、幕末において、雄藩として、明治維新に大きく貢献したという歴史があります。
そこで、国家のお金の管理・運営をいかにしっかりとして、国家を強くするか、国民を富ませることができるのかを研究しようとしたのが、財政学です。
まとめ
以上をまとめると、次のような形になるかと思います。
公共経済学 ⇒ 個人として合理的に行動してもうまくいかない ⇒ それを解決するため、政府としてどうなのか
財政学 ⇒ 国家にとって、お金の問題は重要 ⇒ 国家として、どのようにお金を管理・運営するのがいいのか
違う言い方をすると、次のように言えるかもしれません。
公共経済学 ⇒ 個人というミクロからスタート
財政学 ⇒ 国家というマクロからスタート
そのため、公共経済学はミクロ経済学的であり、財政学はマクロ経済学的でもあります。そしてそれぞれの研究分野の性質上、公共経済学は理論的・数学的、財政学は現実的・実証的(統計的)とも言えます。
とはいえ、公共経済学においては、現実世界を無視した理論構築ができるわけではなく、マクロ経済学においてもミクロ的基礎付け(マイクロファンデーション)が一般化する中で、ミクロ経済学的もになっており、その研究分野としては重なる部分も多く、その領域も曖昧になってきているともいえるでしょう。