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明治時代のベンチャーブーム「企業勃興」

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投稿経済史初級
ベンチャーといえば、現代の出来事のように思えるかもしれませんが、明治時代にも「企業勃興」というベンチャーブームがありました。この企業勃興について、説明します。
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はじめに

 「ベンチャー」という言葉が、日本で一般的にはなったのは、いつでしょうか。

 私の認識では、1990年代以降ではないかと思っています。バブル経済が崩壊し、これまでの既存産業では立ち行かなくなる状況が多くなる中、新たな産業が求められ、その文脈の1つとして、ベンチャー企業が重要視されてきたように思います。

 ところで、明治時代に、現代風に言えば、ベンチャーブームというべき、多くの新しい企業・産業が生まれた時期がありました。これが、「企業勃興」です。

企業勃興

 企業勃興とは、明治時代の1880年代後半と1890年代後半に、多くの企業の設立が相次いだ現象を指します。そして、前者は「第1次企業勃興」、後者は「第2次企業勃興」などと言われ、区分されたりもします。

 明治維新から20・30年が経過する中、商人・地主層の資産形成、金融システムの整備、賃労働者層の形成を背景に、起こったとされています。

第1次企業勃興

 1887年~1889年に起こった企業勃興で、鉄道・紡績業を中心としています。
 この時期は、1880年代初頭から松方財政によるデフレ政策d

 鉄道業は、従来、官営で敷設が行われていましたが、財政制約もあり、民間企業による鉄道建設も許可されるになり、1881年に日本鉄道が設立。この日本鉄道の成功や株式ブームから、山陽鉄道・九州鉄道・関西鉄道などがこの企業勃興間に設立されることになりました(第一次鉄道ブーム)。

 紡績業は、幕末期・明治期初頭から近代化が進められていましたが、経営不振などが続いていました。しかし、1882年に渋沢栄一などにより大阪紡績所が設立され、大規模な近代紡績工場として成功します。
 この成功に触発され、この企業勃興期に、関西を中心に、三重紡績、天満紡績、尾張紡績、鐘紡紡績などが相次いで設立されます。

 この他、製鉄、セメント、電灯、ビール、精糖、製紙などの分野でも近代的企業が設立されました。

第2次企業勃興

 日清戦争後の1895年~1896年に起こった企業勃興です。
 地方短距離鉄道を中心とした第二次鉄道ブーム、紡績、銀行の新設を中心としたものです。

 鉄道業については、第1次企業勃興などから幹線鉄道の敷設は終わり、成長は鈍化していましたが、地方の短距離の私設鉄道を中心に鉄道ブームが起こります。

 紡績業は、第1次企業勃興期から生産は増加し続け、1890年には綿糸の国内生産が輸入を上回り、1897年には輸出が輸入を上回るなど、当時の日本においては、成長産業であり、第2次企業勃興においても、企業勃興が起こります。

 銀行業は、1870年代の国立銀行条例により、現在では想像ができませんが、この民間銀行が紙幣を発行でき、多くの国立銀行(「国立」という名称ですが、国の認可により設立された民間の銀行)が設立されていました。ただこれによりインフレが生じたことから、1883年に国立銀行条例が改正され、現在のような銀行の形になりました。
 そして、この第2次企業勃興においては、地域の資産家・名望家による資産形成が進む中、小規模銀行の設立が相次ぎました。

 この他、電力、造船、石炭など重工業関連企業も多く設立されています。

参考

  杉山伸也『日本経済史 近世‐現代
  寺西重郎『日本の経済システム
  浜野潔他『日本経済史1600-2015

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