はじめに
日本史の授業でも出てくる「金解禁」。

高校生のとき、とりあえずは、授業で習ったように思うのですが、どうもよく分かりませんでした。経済学を知らなかったという問題もありますが、どうもこの言葉に問題があるように思います。
改めて、金解禁について分かりやすく説明すると、
「1930年に日本が金本位制の固定相場制を導入した」
という歴史的な出来事を表しています。
現在では、変動相場制が一般的ですが、世界各国で固定相場制がスタンダードでした。ただ日本は当時、それが導入できておらず、経済問題化する中で、1930年に実現されたということです(すぐに崩壊してしまいますが…)。
歴史的な事実として重要でもありますが、経済政策を考える際に、井上準之助と高橋是清による政策の違いが分かりやすく、面白い部分もあります。
そこで、この金解禁という歴史について、年表形式でまとめてみました。
年表
年月日 | 出来事 |
---|---|
1917年 |
金輸出の禁止 第1次世界大戦の中、国際金本位制離脱 |
1922年 |
ジェノア国際経済会議 国際金本位制の再建が目標となる |
1920年代中頃 |
世界各国による国際金本位制への回復 (例)1924年:ドイツ、1925年:イギリス、1927年:イタリア、1928年:フランス |
1929年7月2日 |
浜口内閣成立 立憲民政党の浜口内閣が成立(蔵相として井上準之助が就任) 旧平価(実勢よりも円高)での金解禁を目指し、デフレ政策を実施(歳出削減・輸入削減などによる需要抑制) |
1929年10月24日 |
暗黙の木曜日 ニューヨークで株式市場の大暴落(世界恐慌の始まり) |
1930年1月11日 | 金解禁の実施 国内でのデフレ、世界恐慌が起こる中、金解禁を実施 |
1930年中 | 昭和恐慌発生 |
1930年11月14日 |
浜口首相遭難事件 浜口首相が東京駅で銃撃される 外相の幣原喜重郎が臨時代理を務める |
1931年4月14日 |
第2次若槻内閣 浜口首相が倒れたことから、若槻礼次郎が首相となる(政策は継続) |
1931年9月18日 |
柳条湖事件(満州事変) 若槻内閣は不拡大方針を出し、国民や軍部の信を失う |
1931年9月21日 |
イギリスの金本位制離脱 日本の金本位制離脱と円安が予想され、金融機関・商社などによる円売りドル買いが行われるようになる(投機) |
1931年10月 |
十月事件 第2次若槻内閣へのクーデター未遂事件 |
1931年12月13日 |
犬養内閣成立(金解禁の停止) 浜口内閣を継承していた第2次若槻内閣が総辞職 立憲政友会の犬養内閣が成立し、即日、金輸出の禁止を実施 |
結果
このような時系列で、2年弱という短い期間、金解禁は実施されましたが、次のような結果をもたらしたとされます。
・デフレ不況
・昭和恐慌
・多額の金流出
・政府・資本家への不信感 など
まとめ
改めて年表でまとめてみると、単純な経済的な問題だけではなく、政治的な問題も大きく絡んでいることが分かります。
昭和恐慌の発生や政府への不信感などが、後の軍部の台頭につながり、日中戦争・太平洋戦争に向かっていったという印象もあります。
私自身、高校生のときは、「何でこんな出来事を覚えなければといけないの」と思ったりもしましたが、経済だけではなく、日本全体を揺るがす大きな出来事だったといえると思います。
参考
浜野潔他『日本経済史1600-2015』