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明治時代の鉄道業の発展について

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投稿経済史初級
明治時代の鉄道業の発展について、説明しています。
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はじめに

 明治の近代化を語る上で、重要な産業として、鉄道業が挙げられます。

 明治初期の岩倉遣欧使節団が、ヨーロッパで鉄道の圧倒的な輸送能力に驚き、その重要性から、明治政府はその当初から、積極的に鉄道敷設や鉄道網の整備を進めていきました。

当初の鉄道業

 日本における最初の鉄道は、1870年に着工、1872年に開通した新橋~横浜間の鉄道です。

 工事は、外国人に請け負わせて行うものではなく、お雇い外国人という形で、技術提供を受けながら、進められました。鉄道におけるお雇い外国人はイギリス人が中心で、機関車・車両・レールはイギリスから輸入されました。

 開業時には、駅長・駅夫・改札・機関助手・信号手などは日本人でしたが、鉄道を運行する際の運輸長・運転手・時間看守・ポイントメンなどは外国人でした。

 このように、当時の日本には鉄道に関する技術・関連産業がほとんどなかったため、その中心は外国人(特にイギリス人)の手によって、進められたものでした。

 そして、1874年には、大阪~神戸間の鉄道も開業しました。
 これに伴い、鉄道関係の外国人の数も増え、1870年の10人から、1874年には114人となっています。

技術代替

 政府としては、いつまでも外国人の手を借りて、鉄道の整備を進めていくつもりはなく、日本人への代替を模索していました。
 工部大学校の卒業生や外国への留学生を雇い入れ、代替化を進めようとしましたが、それでは限りがあるため、工技生養成所という鉄道技術に絞った養成機関も設けました。

 この結果、1878年着工、1880年に完成した京都~大阪間の鉄道は、橋梁設計の一部がイギリス人であったものの、日本人のみで建設されました。

 日本で初めて鉄道が建設されてから10年で、日本人による鉄道建設を実現したことになります。

 これに合わせて、1877年には運行管理者・時刻看守、1879年には運転手が日本人に代替され、そのオペレーションにおいても、代替化が進められました。

 逆に、外国人の数は1875年から減少し、1877年には70人、1882年には22人まで減少しました。

民間企業による鉄道

 技術代替も進み、鉄道の輸送効率の良さから、鉄道網は拡大していきましたが、あくまでも官営でした。
 しかし、当時の政府は、明治政府樹立以来、絶えず、財政的には逼迫しており、大きな予算制約のもと、鉄道も整備されていました。

 そこで、民間の鉄道会社の認可を行い、民間企業による鉄道整備を進めていくことになり、1881年に、華士族を中心に、資本金2000万円で、東京~前橋間、東京~青森間を結ぶ、日本鉄道会社が設立されました。
 政府の監督権や命令権は強い形でしたが、最長15年間の8%の利益保証が行われ、当初の自営は運輸・倉庫・会計のみで、建設・保線・運転は政府に委託されることになりました。
 同時に、官営鉄道から幹部社員や駅務職員を雇用したり、自社社員を官営鉄道へ訓練に出したりしました。

 これらにより、官営鉄道の模倣した形で民営鉄道も運行されましたが、官営から民間への技術移転が進められることになります。

第1次鉄道ブーム

 1884年に日本鉄道会社が配当率を1割とすると、同社の株価は上昇し、1886年の株式ブームの到来で、山陽鉄道・九州鉄道・関西鉄度などの大規模な会社が設立され、第1次鉄道ブームが訪れました。
 これらの企業には、一部補助などが与えられた企業もありますが、日本鉄道のような保護はありませんでした。

 これらの企業は、政府や日本鉄道から人材を受け入れたり、それらに社員を派遣したりもしましたが、独自に外国人や帝大卒を採用するなど、政府と日本鉄道のような関係にはなく、独自色の強い形になっています。

 そして、1889年には、民営鉄道の営業キロ数は、官営鉄道を超えることなりました。

 同時に、1887年に私設鉄道条例、1892年に鉄道敷設法が公布され、鉄道業に関する法的な整備も進められています。

第2次鉄道ブーム

 第1次鉄道ブームの後、1890年恐慌で経営難に陥る鉄道会社が出てきたりし、その伸びは鈍化することになりますが、日清戦争後の1896年~1898年にかけて、路線延長距離50キロ以下の地方の短距離の私設鉄道が多く起こり、第二次鉄道ブームを迎えました、

鉄道国有化法

 日清戦争後、第2次鉄道ブームが起こりますが、同時に、軍事上の観点から、鉄道の国有化が言われるようになりました。
 民間の株式会社がロジスティクスを担っているのは、軍事機密保持の観点から、望ましくないという考えです。

 そして、日露戦争後の1906年に、鉄道国有化法案が成立し、17の民営鉄道が買収されることになりました。

 半面、1905年の阪神電気鉄道の開業を皮切りに、都市郊外の私鉄事業が発展していくことになります。
 これは、都市から郊外に路線を敷設し、その郊外で宅地を販売、ターミナルには百貨店を置くというビジネスモデルに基づくものなっています。

参考

  粕谷誠『ものづくり日本経営史

  杉山伸也『日本経済史 近世‐現代

  浜野潔・井奥成彦・中村宗悦・岸田真・永江雅和・牛島利明『日本経済史1600-2015 歴史に読む現代

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