政治と経済は、そもそもは別物ですが、政治による政策が経済に大きな影響を与えていることを考えると、この2つの関係が気になるところです。
政治について、詳しくはありませんが、1つの見方として、独裁制と民主制がある中で、どちらが経済発展にとっていいのでしょうか。
開発独裁という言葉があり、途上国の経済発展にとっては、独裁の重要性が言われたこともありました。独裁と言えば、良くないイメージですが、開発独裁は、独裁という強権的な政治体制の中で、政治を安定・国民を統制し、経済発展に邁進することで、途上国は高い経済成長を達成できるというものです。
近年においても、独裁的とされる中国が経済成長する中、日本のように、民主制の国におけるリーダーシップの欠落や決められない政治などが問題視されてもしています。
ここで、途上国において、独裁制と民主制では、どちらが経済成長が高いかと言えば、開発経済学の知見としては、
・民主制は、経済成長率は安定的
・独裁制は、振れ幅が大きく、独裁者による
というのが、1つの結論のようです。
確かに、これは直観的に分かる話で、民主制においては国民の声というのが重要で、国のトップである大統領や首相は、自分の思い通りに何でもできるわけではなく、平均的な国民を想定して、経済政策も運営するため、大きく成功するような政策は打てないが、リスク・失敗するような政策もやらないため、経済成長率は、高くはないが安定的になるのでしょう。
逆に、独裁制においては、独裁者が経済政策について能力があり、リスクも抱えながら素晴らしい政策を実施すれば、高い経済成長率を達成できるのでしょうが、そうでなければ、その強権性ゆえに、経済成長どころか、経済を混乱させてしまうことは、分かりやすい話です。
そうしたら、独裁制において、うまくいく場合と、失敗する場合は、どうなのでしょうか。
開発経済学の1つの所見として、独裁者の行動を抑制したり、独裁者を排除するような、「選択民」の存在が重要だとされます。
独裁制であっても、選択民がいれば、独裁者が問題行動・問題政策を実施しようとすれば、選択民は独裁者を排除するため、独裁者はそのような政策を行うことができません。
このように、独裁制であっても、独裁者のマイナス行動・政策を抑制するような仕組みがあることで、独裁者の問題行動・問題政策を排除しつつ、国にとって、プラスとなるような政策を主として実施するような形になっています。
ここで、独裁者の欲求を大別すると、次のようになるでしょう。
・個人的欲求
・国を良くする欲求
独裁者であっても、入口としては、前者の国を良くする欲求がなければ、独裁者すらなれません。少なくとも、国を良くする欲求をもとに掲げられた大義名分がなければ、独裁者として存続はできないでしょう。
すなわち、選択民という存在が、独裁者の個人的欲求を抑えつつ、
個人的欲求 < 国を良くする欲求
という状態を保つことで、独裁制でありながら、経済発展を実現できるということになると思います。
これゆえに、開発経済学の研究では、経済発展上うまくいっていた独裁制であっても、それが長期にわたると、ダメになるという話があります。
独裁制の当初では、選択民の存在で、個人的欲求は抑制されているのですが、独裁が長期にわたることで、選択民の機能が低下し、独裁者の個人的欲求をストップする仕組みが低下し、経済成長が低下することになるのでしょう。
参考
戸堂康之『開発経済学入門』