概要
ある国の経済発展を考えたとき、低開発国のほうが開発の余地があり、経済発展しやすいように思います。
例えば、道路があるところに道路を作っても、経済的な効率や便益の増加は少ないかもしれませんが、全く道路がないところに道路を作れば、よりその投資効果・波及効果は大きいと考えられるでしょう。
また理論的にも、成長理論のベースとなると、ソローモデルを考えたときにも、資本の蓄積が小さいときは投資の効果が大きく、どんどんと資本蓄積がなされ、一定の所得に収束するとされます。言い換えれば、低開発国においても、資本の蓄積が行われれば、先進国並みの所得になることが予想されています。
しかし現実は、そうはなっていません。
多くの国で、貧困国は貧困国のままで抜け出せないということがよくあります。そしてこのような状態を「貧困の罠」と言います。
なぜ、貧困の罠が生じるのか
貧困の罠が生じる原因として、いくつかありますが、大きく分け2つのものが挙げられます。
ソローモデル
経済成長理論のソローモデルでは、貯蓄が投資に回り、その投資が経済発展を導くとされます。
しかし、そもそも貯蓄がなければ、投資に資金を回すことはできません。貧困国においては、生活するのに精一杯で、貯蓄をする余裕がなく、投資も行われないため、貧困が続くと考えられます。
昔、長岡藩の小林虎三郎が米百俵の精神として、次のようなことを言いました。
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
このような形でいけばいいのですが、貧困国では米を食べてしまうという状況が起きているため、「貧困の罠」が続いていると考えられます。
クルーグマンモデル
クルーグマンによって考えられたモデル・理論で、産業には近代産業と伝統産業があると考えます。
近代産業では、規模の経済が働き、多くの人が働けば働くほど、その人数以上の生産量の増加が見られるとします。他方、伝統産業では、収穫一定で、その投入した労働力でしか、産出量は増えないとします。
ここで、分かりにくいので、数値例で示しましょう。
近代産業と伝統産業それぞれの投入される労働者数ごとの産出量の例です。
10人 | 20人 | … | 50人 | … | 80人 | |
---|---|---|---|---|---|---|
近代産業 | 3 | 7 | 70 | 120 | ||
伝統産業 | 10 | 20 | 50 | 80 |
労働投入量が10人・20人のときは、伝統産業のほうが多く生産できます。しかし、近代産業では労働投入量が増えるほど、その産出量の増加も増えるので、労働投入量が50人を超えると、近代産業のほうが多く生産ができることになります。
こうなると、貧困国で近代産業があっても、多くの生産はできないので、その産業は維持されず、伝統産業のみが残り、生産性は低いままで、貧困国にとどまることになります。
貧困の罠の抜け出し方
ソローモデルでも、クルーグマンモデルでも、そのままでは貧困は抜け出せません。
このときに重要になるが、政府の役割です。
ソローモデルに従えば、政府が貯蓄を促したり、外資を導入して、投資への資金を用意することが重要になります。クルーグマンモデルにしても、一定の生産量が期待できるまで、政府は赤字を覚悟で、近代産業を維持することが必要になります。
このような政策をとれば、ある臨界点を超えると、貧困の罠を抜け出し、経済発展ができると考えられます。
勿論、このような政策については、批判もあったりもしますが、一つのベーシックな考え方でもあったりします。
参考
戸堂康之『開発経済学入門』