はじめに
サマリア人のジレンマは、新約聖書の「ルカ福音書」に登場する善きサマリア人に由来するとされるものです。
経済学者ブキャナンによる造語と言われ、偽善的行為に関するジレンマです。
社会保障や再配分政策などを考える上で、端的な比喩となっているので、(若干物語的に脚色を入れながら)紹介したいと思います。
なお、ポイントだけを知りたければ、サマリア人のジレンマの後のポイントから見てください。
サマリア人のジレンマ
あるユダヤ人が旅の途中で、追剥に遭い、軽い怪我をしてしまいました。
そこへ、同族のユダヤ人の祭司やレビ人が通りかかりました。怪我をしたユダヤ人は、彼らに助けを求めますが、見て見ぬ振りをして通り過ぎました。
次に、あるサマリア人がそこに現れました。当時、サマリア人はユダヤ人から差別をされていましたが、サマリア人は善良な民族として知られていました。
ユダヤ人は悩みます。いつも馬鹿にしているサマリア人から助けを求めるべきか、助けを求めたとして、サマリア人はこれまでの対立から、助けてくれるだろうかと。
ただ、サマリア人は非常に人がいいことはよく分かっているので、助けを求めれば、必ず助けてくれるだろうという考えに至ります。
ユダヤ人は、その通りかかったサマリア人に助けを求めました。
声を掛けられたサマリア人は、怪我をしたユダヤ人を見て思います。
「やはりユダヤ人はどうしようもない。日頃、偉そうにしているが、少し怪我をしただけで、この有様だ。
自分で何とか出来るのに、人に助けを求めるなんて!
しかも、このユダヤ人は、サマリア人ならば助けてくれるだろうとも思っている。
むしろ、このユダヤ人を助けることは、この人のためにならない」
とはいえ、ユダヤ人の苦しみとも悲しみとも言えぬ顔を見て、再び別の思いが浮かんできます。
「このユダヤ人はどうしようもないが、困っている人を助けないなんて、正しい行いなのだろうか。
これまで、他の人に助けられ、自らも積極的に他の人を助けてきた。
このユダヤ人は困っている。ここで彼を助けなければ、彼からは恨まれることにもなるだろう。
彼の今後を考えると、為にならないかもしれないが、やはり目の前の困っている人は助けるべきである」
サマリア人は二つの考えに思い悩みますが、怪我をしたユダヤ人に手を差し伸べて、その傷を見ていました。
ポイント
怪我をしたユダヤ人に対し、助けを求められたサマリア人のジレンマについて、ポイントは、次の通りです。
(ユダヤ人の考え)
・ユダヤ人は、サマリア人は助けを求めれば助けてくれることを分かっている。
(サマリア人の考え)
・サマリア人は、ユダヤ人を今助けることは、今後のことを考えると、良くないと思っている。
・特に、このユダヤ人は自身で解決できるにも関わらず、サマリア人ならば助けてくれるだろうことを分かっていて、助けを求めている
・しかし助けなければこのユダヤ人からは恨まれ、これまでの信条からユダヤ人を助けざるを得ないとも思っている。
別の形で整理すると、サマリア人の選択として、
助ける → ユダヤ人の甘えを助長する
助けない → ユダヤ人から恨まれるが、このユダヤ人にとっては自立の道を開くことになる
ということになり、ジレンマが起こることになります。
そしてこのようなジレンマは、政府などが政策を実行するにあたり、直面する問題とも言えます。
(例)生活保護
貧困により困窮している人に対して、生活保護は必要な制度です。しかしこれにより、生活保護を当たり前だとして、その困窮者が働かなくなったりするジレンマがあります。
(例)国と地方
地方交付税は財政力が弱い自治体に対して、国がお金を出している制度です。しっかりと税収などがあれば、地方交付税を受け取ることができませんが、現在、ほとんどの地方自治体が地方交付税を受け取っており、当然の措置となっています。
この2つの例以外にも、農業支援、中小企業支援など、様々な分野で、サマリア人のジレンマのような状況が起こっています。
サマリア人のジレンマは一つのたとえ話ですが、現在における重要な問題を示していると言えるでしょう。