合成の誤謬
合成の誤謬とは、
「個人としては合理的で正しいことが、その集合である全体で考えた場合に正しくない」
ということを表す経済用語です。
違う言い方をすれば、
「ミクロでは正しいが、マクロでは正しくない」
ような状況と言えるでしょう。
概念としては、このようなものですが、イメージをもってもらうために、いくつか例を挙げましょう。
例
例1
ある農家を考えましょう。一生懸命に畑を耕し、豊作だったとします。
その農家としては、一生懸命に働くことは大事で、豊作はその努力の結果で、喜ばしいことであるといえるでしょう。
しかし、多くの農民が同じように行動すると、多くの農作物が市場に出回り、価格の低下を招き、農家全体としては所得が減少してしまう事態となってしまいます。
例2(節約のパラドックス)
合成の誤謬の例としても、最も使われるのが、「節約のパラドックス」というものです。
多くの貯蓄・財産を残すには、倹約・節約は大事であり、1人の個人としては、大事な行動と言えるでしょう。
しかし、それを多くの国民が行った場合にはどうなるかといえば、国民全体の消費は減少し、景気の悪化を招くことになってしまいます。
特に、不況下ではこのような現象が起きやすく、不況なので自己防衛のため、貯蓄を行おうとするのですが、それがかえって、経済全体の消費低迷を起こし、不況を悪化させてしまうというスパイラルを招いてしまいます。
例3(共有地の悲劇)
ゲーム理論で「共有地の悲劇」というものがあります(「コモンズの悲劇」などと言ったりもします)。
これは、1人の漁師としては多くの魚を獲れば、非常に儲かりますが、多くの漁師が同じように行動すると、乱獲が生じて、結果として魚がいなくなってしまうというものです。
あまり、合成の誤謬という概念と一緒に語られることはないように思いますが、個人では正しいが、全体としてはよくない状況を招くという点で、合成の誤謬の1つといえるでしょう。
最後に
合成の誤謬のような現象、そして上記のような例は、現実の世界において、よくある現象です。
それぞれの例としては省略しますが、ビジネスの世界では、過当競争、値下げ競争、過剰供給なども同じような現象といえるでしょう。
そして、経済学的には、ミクロとマクロは違うという大きな要素といえるでしょう。
ただ、ミクロ的基礎づけが一般的な現在の経済学においては、代表的な家計などが想定され、個人=全体となっており、このような重要な問題が抜けてしまったような感じがあります。